Le Détroit de Lapérouse
P.B. ル・デトロワ

稚内からフランスへ、人と歴史をつなぐ

第1章 なぜ宗谷海峡は「ラペルーズ海峡」と呼ばれるのか

北海道の北端・稚内。
宗谷岬の先には、わずか40キロ余りの距離にサハリンの島影が見えます。
この海峡を、日本では「宗谷海峡」と呼びます。しかし、欧米では別の名前で知られています。
ラペルーズ海峡。
その名は、18世紀フランスの航海者ジャン=フランソワ・ド・ガロー・ド・ラペルーズに由来します。
1787年、彼は世界周航の航海の途上で、この海峡をヨーロッパ人として初めて通過しました。
この航海によって、サハリンが島であること、そして北海道との間に海峡が存在することが西洋世界に広く知られるようになります。
その功績を称え、この海峡は「ラペルーズ海峡」と呼ばれるようになりました。
しかし、日本ではこの事実はあまり知られていません。
私たちは、この歴史に強く惹かれました。
稚内は単なる「最北の地」ではなく、フランス、サハリン、そして世界へとつながる場所です。
ラペルーズの航海は、過去の出来事ではなく、今もなお、人と人とを結ぶ入口であると感じています。

主な歩み(ラペルーズ航海)
1785年 フランス国王ルイ16世の命により世界周航へ出発
1787年 日本海を北上しサハリン西岸へ上陸
1787年 宗谷海峡を通過(後に「ラペルーズ海峡」と呼ばれる)
1788年 南太平洋で消息不明

第2章 稚内とフランスをつないできた交流

ラペルーズの故郷は、フランス南部の都市アルビ。
美しい街並みで知られる歴史都市です。
このアルビと稚内の交流は、単なる歴史紹介にとどまるものではありませんでした。
2003年、稚内の関係者がアルビ市を訪問し、ラペルーズ協会と交流を開始します。
これを契機として、両地域の関係は着実に深まっていきました。
2004年にはフランス海軍艦艇が稚内に寄港。
2007年には宗谷岬にラペルーズ顕彰碑が建立され、フランスから多くの関係者が訪れました。
その後も交流は一過性のものではなく、
●講演会の開催 ●関係者の来訪 ●記念事業の実施 ●文化交流の展開
と、継続的に積み重ねられていきます。
こうした交流を支えてきたのは、制度や肩書きではなく、人と人との信頼関係でした。
そしてその関係は、今も続いています。

主な歩み(稚内とラペルーズ交流)
2003年 アルビ市訪問、ラペルーズ協会との交流開始
2004年 フランス海軍艦艇 稚内寄港
2007年 フランス海軍艦艇 稚内寄港、宗谷岬にラペルーズ顕彰碑建立
2012年 市民向け講演会開催
2018年 顕彰碑建立10周年記念事業
2018年 フランス海軍軍楽隊来訪
2019年 ラペルーズ海峡横断遠泳

第3章 私たちがつないできた関係

こうした交流の現場に、私たちも関わってきました。
私は市職員として、
●交流事業の調整 ●関係者との連携 ●式典や訪問の企画運営 ●継続的な関係維
といった役割を担ってきました。
しかし、この交流の本質は、単なる行政業務ではありませんでした。
その中心にあったのは、妻の存在です。
妻はフランス語を用いた通訳・翻訳を担い、来訪者対応や現場での意思疎通を支えてきました。
それだけではありません。
アルビやパリに住む関係者に対して、毎年欠かさず近況を伝え、連絡を取り続けてきました。
こうした地道な積み重ねが、関係を一過性のものではなく、継続的なものへと育てていきました。
私たちはこれまで、何度もフランスを訪れ、現地の関係者と直接会い、対話を重ねてきました。
その中で築かれたのは、形式的な交流ではなく、顔の見える信頼関係でした。
もし妻の存在がなければ、ここまでの関係は築けなかったと感じています。
語学とは単なる技術ではなく、人と人をつなぎ、信頼を育てる力である。
私たちは、そのことを実体験として知っています。
そして今、この経験を、新たな形で役立てることができると考えています。

主な歩み(私たちの活動)
2007年 記念碑建立事業に関与
2008年 フランス・アルビ市訪問、関係者と交流開始
2009年 フランス・パリ市訪問、交流継続
2012年 フランス・アルビ市、パリ市訪問、交流継続
2014年 フランス・パリ市訪問、交流継続
2018年 記念事業に関与
2023年 フランス・アルビ市、パリ市訪問、交流継続
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